個人 / RAID
デジタルデータリカバリー(DDR)のサービスをご利用されたお客様の声
柴田 充 様
会社員
「DDRの仕事への姿勢を見て預けたいなと思いました。」
紛失したデータ
①海外旅行の写真や動画など約10万枚。
②個人運営していたWEBサイトやコミュニティの投稿データのバックアップ。
③プログラムのテンプレートや、自分がやってきた仕事の素材やノウハウデータ。
②個人運営していたWEBサイトやコミュニティの投稿データのバックアップ。
③プログラムのテンプレートや、自分がやってきた仕事の素材やノウハウデータ。
データ紛失の経緯
自作PCに自分でRAID0を組み、アクセスし易くHDD(1TB)二つで構成していました。消失経緯は、まず起動時に聞こえたウィーンという異音です。聞いたことのないモーター音がしたので、「あれ?おかしいな」と思い、それ以降起動しなくなりました。過去に度々、モニター接続の問題で表示しないことがあったので深刻に捉えず、再起動や強制終了を試していました。1週間後、再び起動しても付かず、まだ異音もしていたので、「これは何かが壊れているだろう」と思いました。原因調査をしようと、別の動くパソコンで部品を付け替えたりしましたが、何をやっても動きませんでした。その際「マザーボードが壊れた」と予想し、パソコンに詳しい友人のところへ持っていきチェックをしてもらいましたが直せませんでした。RAIDの組み方も特殊だったので、これ以上色々やるとHDDが危なく、直せないレベルになると判断し、データ復旧会社にお世話になろうと決めました。
データ復旧について
まずGoogleで「データ 復旧」で検索したところDDRが上位に表示されました。安さを重視しながら、他社含め4社ほど見ました。次に本当に復旧できるかどうかを確認するために1件1件電話しました。「RAID0は無理です」「1TBまでならいいけど」「少し不安です」などオペレーターの会話に不安要素が入り混じっていたのでやめました。DDRはHPを見た時、大丈夫そうな感じが復旧事例やお客様の声を読んでいて伝わりました。
僕の状態よりもっと大変なシチュエーションを復旧した実績が載っていたので、「僕のは出来るでしょう」と思い、最終的にDDRをチョイスしました。
僕の状態よりもっと大変なシチュエーションを復旧した実績が載っていたので、「僕のは出来るでしょう」と思い、最終的にDDRをチョイスしました。
特に復旧したかったデータとその中身
データは大まかに分けて3つありました。
1つ目は海外旅行の写真です。旅行の度にたくさんの写真を撮影する習慣があり、仕事をしながらセカンド大学で考古学とイスラム文化を学んでいたので、エジプト、中米(ホンジュラス、ガテマラ)、東南アジア(マレーシアのボルネオ島)、トルコなどの国々で遺跡群、建造物、遺構を訪れ、時には実際に発掘をし、その記録用として写真を撮っていました。これは趣味でもあり、勉強でもあり、セカンド大学の在学時に、長期連休を利用して取り組んでいました。イスラム文化研究では、礼拝堂であるモスクに付随する塔“ミナレット”が特に好きで、色々な国のミナレットばかり撮り集めていました。論文を書く際は、自分で撮った写真しか使えないので、その為にたくさん写真を撮っていました。
2つ目はWEBサイト(TVゲームのコミュニティ)のプログラムが入っていたデータです。あるTVゲームが発売される前に、このサイトを立ち上げます。そこにゲーム攻略法などの新情報をいち早く載せ、Q&Aや情報交換をして盛り上げていく場になります。今は時代の波によってツイッターなどにシフトしているので、役割を果たし満足したので閉鎖しておりますが、当時はこのような専門サイトが情報源でした。ゲーム発売から3ヶ月から半年すると落ち着くので、やがてファン同士の交流を重要視して運営を継続していました。中には発売後2・3年経っているのにまだ盛り上がっているサイトもあり、それを見た時に作品をちゃんと愛していると感じ、そんなサイトにすべくほぼボランティアの領域で作っていたものです。
3つ目は、ページやサイトを作る時のテンプレート一式と、成功パターンやノウハウを記したドキュメントや過去の資料などです。自分用として使いまわしているセットで、ソフトやダウンロードしたものを遺していました。
この3つで特に復旧したかったのは2つ目のデータです。他人も関わっているデータなので絶対に取り戻したかったです。そのサイトを使ってくれていた方々に対して常に誠意を持って“きちんと遺す”というのが自分のポリシーでした。
論文の発表資料に使ったエジプトのアスワンハイダムや、レンガ造の建築物の写真も特に復旧してもらいたかったデータのひとつです。
データを失った時の気持ち
私自身は物理的なモノをわりと取っておく、断舎利が出来ない人間なので、失ったら嫌だなと思っていました。ただ万が一、二進も三進もいかなければ、「まあ、いい機会だと捉えて諦めよう」とも思っていました。捨てられない性格ゆえに、捨てるきっかけになったと言いますか。
「なくても生きていけるけど、でも大事な思い出だから」の、せめぎ合いでしたが、やっぱりデータは大事だと思い復旧を依頼しました。
お金はまた稼げば何とかなるけど、データはお金では買えない価値があると思いましたし、今まで継続してきたものをお金が理由で諦めたくなかったのです。たいして重要ではないメモなどのデータも、更新日時を見ると「あーあの時こんなこと書いたんだな」と、歴史が振り返れるのはいいです。頻繁に振り返るわけではないですが、私の大事な人生の一部です。
「なくても生きていけるけど、でも大事な思い出だから」の、せめぎ合いでしたが、やっぱりデータは大事だと思い復旧を依頼しました。
お金はまた稼げば何とかなるけど、データはお金では買えない価値があると思いましたし、今まで継続してきたものをお金が理由で諦めたくなかったのです。たいして重要ではないメモなどのデータも、更新日時を見ると「あーあの時こんなこと書いたんだな」と、歴史が振り返れるのはいいです。頻繁に振り返るわけではないですが、私の大事な人生の一部です。
データが戻ってきた時の気持ち
復旧にかかった時間は1週間でした。不安で気になっていたので、全て手元に戻った時は、とにかく嬉しかったです。本当に有難かったです。今は対策として、外付けHDDをもう一台買ってそこにも入れています。古文書以外の写真も全て外付けHDD2台へ保存し、きちんとしたステップで取り出して外すようになりました。
もしデータ復旧ができていなければ
「あ~ここでもダメなのか」と。でも「自分の不始末、残念!」と思っていたでしょうね。
DDRのデータ復旧サービスを利用して感じたこと
セキュリティが厳しい社内で、ラボやクリーンルームを見学させてもらいました。実際にDDRのオープンな仕事ぶりを見た時に、自分達がやっている作業に自信と誇りを持っており、その価値を見て欲しいのだと感じました。物やサービスの価値は、お客さんが理解しないとお金は払われないので、DDRの仕事への姿勢を見て預けたいなと思いました。
夜に会社訪問して、まさか社内を見せてくれるとは思ってなかったので、単純にビックリしました。
企業情報を取り扱う上ではセキュリティが超重要だと思いますし、納品時に中身のデータファイルのサイトマップを付けてくれて、大変有難かったです。悪い点は特になかったですが、強いて言うなら、診断や処置内容をもっと詳しくリポートして欲しかったですね。
夜に会社訪問して、まさか社内を見せてくれるとは思ってなかったので、単純にビックリしました。
企業情報を取り扱う上ではセキュリティが超重要だと思いますし、納品時に中身のデータファイルのサイトマップを付けてくれて、大変有難かったです。悪い点は特になかったですが、強いて言うなら、診断や処置内容をもっと詳しくリポートして欲しかったですね。
最後に一言
壊れてしまう思い出や、自分の人生の一部がデータ化されている時代に、“それが元に戻る、蘇る”ということは、重い病気が治るのと同じくらいの「救い」だと思います。
仕事やプライベートでまた何かあった時は、DDRにお願いしたいです。
本当に真摯な対応をして下さったと思っております。
仕事やプライベートでまた何かあった時は、DDRにお願いしたいです。
本当に真摯な対応をして下さったと思っております。