個人 / パソコン
デジタルデータリカバリー(DDR)のサービスをご利用されたお客様の声
土橋 ゆみ 様
コミュニティデザイナー
土橋様は都市計画が専門、コミュニティデザイナーとして日本全国でご活躍される傍ら、2012年より東日本大震災で甚大な被害を受けました岩手県釜石市鵜住居町の復興まちづくりの支援を行っています。2017年の12月、被災地の子どもの意見を活かしたあそび場づくりのプロジェクトがひと段落したと思ったその矢先、関係者や学会に報告しようと取りまとめていた大切なデータ類を全て紛失してしまい、大変お困りのところをデジタルデータリカバリー(DDR)の復旧サービスをご利用いただきました。
どうしても取り戻したい被災地の子ども達の大切な声
紛失したデータ
•小学校中学校でのアンケート集計結果
•実践活動をとりまとめた論文
•他直近1年分のデータ
•実践活動をとりまとめた論文
•他直近1年分のデータ
データ紛失の経緯
購入して1年のLenovoのThinkPad X1Carbonのノートパソコンです。ある日「Windowsアップデート」を実行したら”更新中”となったのでそのまま数時間放置してから確認したところ止まって動かなくなっていました。
知人より「今回のWindowsアップデートを行ったときに凄く時間がかかり、その日全く仕事にならなかった」と助言があったので、「夜に更新すれば朝には終わっているだろう」と考え夜間に実行しました。しかし朝目覚めてパソコンを確認するとOSが動いておらず、「OSが見つけられません」という表示がされていました。もう一台のパソコンで対処方法を調べましたが、不適当な対処をすることでデータ破損することが怖かったので、すぐにメーカー(レノボ)に問い合わせました。電話で状況を説明すると、復旧手順を教えてくれましたが、全く改善される様子はなく、担当者からは「パソコン修理は出来ますがデータが初期化される可能性があります」と言われました。
中に保存されていたデータはパソコン本体よりも大切なものでした。
知人より「今回のWindowsアップデートを行ったときに凄く時間がかかり、その日全く仕事にならなかった」と助言があったので、「夜に更新すれば朝には終わっているだろう」と考え夜間に実行しました。しかし朝目覚めてパソコンを確認するとOSが動いておらず、「OSが見つけられません」という表示がされていました。もう一台のパソコンで対処方法を調べましたが、不適当な対処をすることでデータ破損することが怖かったので、すぐにメーカー(レノボ)に問い合わせました。電話で状況を説明すると、復旧手順を教えてくれましたが、全く改善される様子はなく、担当者からは「パソコン修理は出来ますがデータが初期化される可能性があります」と言われました。
中に保存されていたデータはパソコン本体よりも大切なものでした。
データ復旧について
データ復旧会社があるのは以前から知っていましたが、ひとまずパソコンに詳しい知人にデータ復旧について相談しました。その時「パソコンが壊れていいならデータはとり出せるよ」と言われましたが、確証がもてず決断できませんでした。結局インターネットで「データ復旧 東京」と検索をして調べ、デジタルデータリカバリーに辿り着き、銀座まで直接機器を持ち込みました。
特に復旧したかったデータとその中身
私は2013年から東日本大震災の被災地で子ども参加の復興まちづくりの支援活動をしています。被災地を訪れる度に持ち歩いているノートパソコンには、復興まちづくりの支援に関するデータがおおむね入っておりました。基本的に過去のデータは、他のパソコンにも保存してありますが、迂闊にも2017年の1年分だけはバックアップをとっておりませんでした。
私は、子ども参加の復興まちづくりプロジェクト「うのすまいこどもまちづくりプロジェクト」の主催をしており、当時は不足している被災地の子ども達の遊び場を子どものアイデアを活かしてつくる計画/事業を推進していました。小中学校で、ワークショップやアンケートなどを繰り返し、多様な方々と協働しながらあそび場の計画をつくりました。
今回最も復旧したかったデータは、被災地の子ども達の大事な声が詰まったアンケートやワークショップで集まった子どもたちの意見・アイデアのデータです。
このデータは、今すぐ形になるものもあれば、今後時間をかけて実現できそうなものもあり、喪失により次に繋がらなくなるのはあってはならないことだと思いました。中には、子ども達や地域の住民の皆さんに活動の報告をする為のデータも入っていました。
子どもには子どもの時間が流れており、その流れは私たち大人より早いと言われています。大人の1か月と子どもの1か月はその長さが違うので、データを1から作り直す時間、子どもを待たせることに抵抗がありました。
加えてこれらの実践活動をとりまとめた論文も消えてしまい、それも抽出したい大事なデータの1つでした。今回のまちづくり活動をわかりやすくとりまとめることができれば協力者や、協働者、主体者が増える可能性もあり、これから子ども達のおもいを実現する契機が増えると考え記述したからです。
私は、子ども参加の復興まちづくりプロジェクト「うのすまいこどもまちづくりプロジェクト」の主催をしており、当時は不足している被災地の子ども達の遊び場を子どものアイデアを活かしてつくる計画/事業を推進していました。小中学校で、ワークショップやアンケートなどを繰り返し、多様な方々と協働しながらあそび場の計画をつくりました。
今回最も復旧したかったデータは、被災地の子ども達の大事な声が詰まったアンケートやワークショップで集まった子どもたちの意見・アイデアのデータです。
このデータは、今すぐ形になるものもあれば、今後時間をかけて実現できそうなものもあり、喪失により次に繋がらなくなるのはあってはならないことだと思いました。中には、子ども達や地域の住民の皆さんに活動の報告をする為のデータも入っていました。
子どもには子どもの時間が流れており、その流れは私たち大人より早いと言われています。大人の1か月と子どもの1か月はその長さが違うので、データを1から作り直す時間、子どもを待たせることに抵抗がありました。
加えてこれらの実践活動をとりまとめた論文も消えてしまい、それも抽出したい大事なデータの1つでした。今回のまちづくり活動をわかりやすくとりまとめることができれば協力者や、協働者、主体者が増える可能性もあり、これから子ども達のおもいを実現する契機が増えると考え記述したからです。
データを失った時の気持ち
東日本大震災で被災し、立ち上がろうとしてゆくまちに子どもたちの声を埋め込むことで、少しでも復興したあとのまちが子どもひとりひとりにとっての「自分のまち」になるようサポートをしようと“子ども参加の復興まちづくりプロジェクト”を立ち上げ、活動してきました。小学校中学校で子どもたちとともにまちづくりの提案づくりを行っている最中に、震災当時から「被災地の子ども達の為に」とファイトマネーを積み立てている格闘家の方を紹介いただきました。その方は少しずつ貯めた子ども支援の為の寄付金の活用先を模索しているとのことでしたので、もともと子どものアイデアを活かした遊び場を実現する為のコーディネートをしていた広場に、寄付金を原資として子ども達の意見を活かしたオリジナルの遊具を設置し、子どもたちによるあそび場をつくりました。
目に見える成果であるあそび場が完成しこれから子どもたちの居場所として利活用していこうという矢先にデータを消失してしまい、大変ショックでした。
目に見える成果であるあそび場が完成しこれから子どもたちの居場所として利活用していこうという矢先にデータを消失してしまい、大変ショックでした。
データが戻って来た時の気持ち
データは1日で復旧して頂き、ホッと安心しました。
喪失した時は、諦められるデータも幾つかあったので、「復旧するかどっちにしよう・・」と思い悩みましたが、勢いでお願いしました。費用は当然全て自腹ですが、今まで無償で行っていた活動やかけた自費に比べれば・・とつい支払ってしまいました。本当に勢いでした(笑)。
喪失した時は、諦められるデータも幾つかあったので、「復旧するかどっちにしよう・・」と思い悩みましたが、勢いでお願いしました。費用は当然全て自腹ですが、今まで無償で行っていた活動やかけた自費に比べれば・・とつい支払ってしまいました。本当に勢いでした(笑)。
もしデータ復旧できていなければ
もしデータが復旧できなければ、あるデータだけでもかき集めて、再編集したと思います。
DDRを選んだ決め手
一番の決め手は「スピード」です。
データ復旧会社について色々とインターネットで調べた後、夜も深まり寝ようと横になりましたが、落ち着かず眠れませんでした。問い合わせだけでもしておこうと思い、3社くらいにメールを送信した時に一番返信が早かったのがDDRで、数時間後には返信が来ていました。他社は自動返信がまず来ましたが、その次のメールが遅くてなかなか本題に移れませんでした。
翌日になるとDDRから電話がありました。電話でその日の訪問予約が取れたので、夕方にはDDRのある銀座まで行きました。私は一番にスピード感を求めていました。もしデータ復旧が難しければ、自分でまた一から作業を開始したいと考えており、その判断を早期にしたかったのです。
初期診断の結果は、「2、3日で復旧できる見込みなので早く直します」と言われ安心しました。
データ復旧会社について色々とインターネットで調べた後、夜も深まり寝ようと横になりましたが、落ち着かず眠れませんでした。問い合わせだけでもしておこうと思い、3社くらいにメールを送信した時に一番返信が早かったのがDDRで、数時間後には返信が来ていました。他社は自動返信がまず来ましたが、その次のメールが遅くてなかなか本題に移れませんでした。
翌日になるとDDRから電話がありました。電話でその日の訪問予約が取れたので、夕方にはDDRのある銀座まで行きました。私は一番にスピード感を求めていました。もしデータ復旧が難しければ、自分でまた一から作業を開始したいと考えており、その判断を早期にしたかったのです。
初期診断の結果は、「2、3日で復旧できる見込みなので早く直します」と言われ安心しました。
DDRホームページについての印象
ホームページで最も意識して見た点は、当時は凄く焦っていたので「対応の早さ」です。DDRのホームページには「問い合わせには早く対応します」と書いてあり安心しました。
DDRのデータ復旧サービスを利用して感じたこと
「復旧は早い方がいいです」と伝えると翌日には復旧して頂けました。欲しいデータも全部あり、本当にスピード感があったので、年内に報告や製本などが間に合い大変良かったです。
最後に一言
会社がとても清潔で、女性が一人でも安心してデータ復旧を任せられる企業だと思います。